Blog

私が出会ったEvangelista① 東京都 Y 様

このエントリーをはてなブックマークに追加
Bookmark this on Livedoor Clip
Bookmark this on Yahoo Bookmark
LINEで送る

健さんに出会って

 

私が健さんに出会ったのは2013年くらいだったかと思います。

10月だったと思う。健さんのライブに知り合いに誘われて行きました。
最初、音楽にも興味ないし、知らない人の中行きたくないなどとぶつぶつ思いながら行きました笑

 

ライブの受付をスタッフの方がしていて名刺交換させていただきました。

スタッフの方と仲良くなり、何度かお会いして一緒にお話いている際に、今の悩みのようなことを話したところ健さんの存在を知りました。

 

健さんとは会ったことありますが、お仕事はよくわからず、その方が一度会ってみなよと言っていたので「まぁいっか」と思ってお会いしたことがきっかけです。

 

当時の私の現状は、社会人6年目。

大学は理工学部で高分子の勉強していました。

 

高校時代医者になりたいと思うきっかけがあり、医学部目指すも断念。

薬学部の難しく、ようやく受かった理工学部。やりたいことがあった訳じゃなく、大学時代も生活費を稼ぐためバイト三昧。

就職の際には医療関係の営業を受け、とある製薬会社の営業として採用いただきました。

ずっと医療に携わりたかった私はすごく嬉しく、全力で5年仕事をしてきました。

プライベートでは大学からつきあった彼が関西人で、私は福岡から出たことがなかったのですが、この際出ようと思い全国転勤のある大手製薬会社に行きました。

 

関西に先に配属されたのですが、当の彼は全く別会社で福島配属になり遠距離。そして5年つきあい別れを告げられました。

 

私はなぜ自分が関西にいるのかわからなくなっていました。別れた理由はいくつかありますが、ずっと向こうが思っていたことは『あなたの両親の近くには住んであげれない』とずっと悩んでいたようです。

 

なぜこんな話が出たかと言いますと、私の生まれ育った環境のお話になります。

私の実家は田舎の旧家の本家と言いますか、そんなイメージのお家。正月やお盆は親戚が20〜30人集まっておせちやその季節の料理が並び、そのため私たち本家の人間はお客のため、前日から用意に明け暮れます。

 

私が知りうる限り曾祖母の時代からずっとやっております。そんなお家で私は長女として育てていただきました。1つ下に妹がいますが、小さい頃から誰に言われた訳でもなく、婿養子は嫌だと思っていました。

理由は曾祖母も祖母も理由あって婿養子。お父さんは好きな仕事で転勤といわれ曾祖母に転職を進められ今は別の仕事。誰もそのことを恨んでいないし、今を今として行きているため、私達姉妹に誰も婿養子とは言いませんでした。ありがたいことです。

 

ただ、責任感が強い私は、自然とつきあった彼にも気を使わせていたのでしょう。

別れ際に言われた言葉はすごく私に突き刺さり、もしかしたらずっと引きずっていたのでしょう。仕事で関西にいる理由がわからず、価値を見いだせず、別れた2年後、仕事を辞めて福岡に帰ってきました。

 

私は仕事を辞めて実家に戻り、誘われた保険会社の営業員として働き、手に職つけたいがためにエステティシャンの資格を取得していました。理由は女一人で地元でも生きて行けるように。と。今後のビジョンはエステティシャンとして生計たてること。

 

今思えば、焦っていたんだと思います。製薬会社を辞めて実家に帰って方が親孝行だ。きっと何か変わる。そう信じていました。でも、変わらない。そして、足掻いている自分。それが何か?わかりませんでした。

 

健さんに会った日、健さんは優しく笑いかけてくださり、話を聞いてくださりました。

 

私は、泣きながら話していました。仕事辞めて帰ってきたこと、彼氏のこと、実家の事情。

 

今にして思うと、全部人のせいにしていました。私が不幸なのは全部人のせいだと。私の人生なのに私は他人が主語でした。私は、変わりたかった。

 

悲劇のヒロインのような被害妄想するより、試練を乗り越えかっこ良く生きる女性になりたかった。私がEvangelistaスクールに通うきっかけです。

 

はじめに課題を整理して行くところから始まりました。引きずっている彼氏のこと、実家の事情、そして自分の未来について。

健さんにいっぱいわがまま言ったと思います。きっと一番問題児ではないか?と自信もって言えるくらい、健さんの時間を使っていただいたと。ただ、今言えるのは一番成長して世に出ていると感じております。

 

Evangelistaに出会い、カウンセリングを受け、心の整理をたくさんしました。

 

心にはたくさんの引き出しがあります。その引き出しには自分が気付いていない思い出がぐちゃぐちゃに入っている場所があります。

 

自分で気付けず、それを他人のせいにしたり、不幸のせいにしてしまう原因が入ってます。その原因を健さんのカウンセリングで整理し、きれいに収納できました。私の思い出は今は古き良き思い出です。過去の出来事は帰れないですが、未来に行って人生を振り返って見たときに笑って良かったと思える感謝できる思い出にできます。

 

私は現在東京の製薬会社で働いております。配属で東京になりましたが、製薬会社の営業は天職と感じており、本当に大好きな仕事です。福岡の会社にも受かっておりましたが、自分の心を整理した結果、何が大事かわかりました。

私が変わったら、母が変わりました。東京勤務が決まったことを母に伝えた時、母には泣きながら「どうして、そこまで仕事をするの?こっちではできないの?近くにいてほしい。」と言われました。

 

初めて母の意にそぐわない意思を初めて伝えたました。東京から心のケアを時間をかけてやりました。結果、今ではポジティブ発言が増え。私から母への発信も増え、心の距離がぐっと近くなっています。

 

私が変わったら、元彼さんから連絡がきました。

 

仕事の相談の内容でしたが、弱みを他人に見せない彼が6年ぶりに連絡してきたことは私の中で大きな転機でした。私がその人の身になって返信しましたところ、元気になられて未来に向かってがんばるそうです。私が今までで一番彼を人として応援できた時かもしれません。今はすごく穏やかな気持ちになっております。

私が変わったら、お仕事でいい出会いが増え、そして今天職につけています。

 

製薬会社の営業はMRと呼ばれます。この仕事を辞めてから2年。友人たちから戻ってこいといわれ、転職のチャンスを頂き、他の会社を冷静に見ることができ、今の会社に所蔵しています。

 

この会社は女性支援を応援しており、女性管理職、そして海外80カ国に展開していますので海外進出の可能です。今まで自分を自分で縛ってきた私の視野が広がり未来を明るいものに変えてくれる可能性を日々感じております。

 

2022年現在、なんと私は素敵な彼と運命的に出会い、結婚して一児の母になりました。

この話も劇的な変化なので、ぜひまたの機会にお話しさせてください。

 

私が変わったら世界が変わりました。

 

他人と過去の出来事は変えられないけれど未来と自分は変えられる。人生80年、いや100年!たった数年全力で自分を変えてみませんか?

Evangelistaでは可能です。私が実証済みです。私はこれからも変わり続ける。人生きっと面白くなりそう。そう思っております。

 

東京都女性 Y 様